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日中友好の軌跡」を読み、周恩来の柔軟かつ強かな外交政策を知り

时间:2021-06-09 13:36:28   作者:宫崎由纪子   来源:关西华文时报  
内容摘要:「日中友好の軌跡」を読んで中国は近年目覚ましい経済発展を遂げ、今日では全世界に対して政治・経済の両面で大きな影響をおよぼす大国となったと言える。その中国と日本の関係性を歴史上の観点から見直すと、満州国の成立、日中戦争および太平洋戦争の終戦を経て、日中平和友好条約の締結から40年以......
「日中友好の軌跡」を読んで
中国は近年目覚ましい経済発展を遂げ、今日では全世界に対して政治・経済の両面で大きな影響をおよぼす大国となったと言える。その中国と日本の関係性を歴史上の観点から見直すと、満州国の成立、日中戦争および太平洋戦争の終戦を経て、日中平和友好条約の締結から 40 年以上の歳月が経過している。
私も一人の日本人として“中国と日本の歴史”を学校教育で学んだが、あくまでも日本側の観点で語られた内容であるに過ぎない。その証拠として、日中国交正常化および友好条約の締結にあたり中国側では周恩来が中心人物である認識はあったが、その根底にある思想や人生観についてまで紐解いた内容は学習していない。
今回「日中友好の軌跡」を読み、周恩来の柔軟かつ強かな外交政策を知り、その考え方の一端を学ぶことが出来たのは、私にとって大きな収穫と言える。
まず私が驚いたのは、周恩来の対日本外交の根本的思想である「以民促官」と、それを推し進める上で必要となる考え方として「二分法」が採用されていたことだ。
この当時の中国の最上位の政治家といえる周恩来が、中国と日本の国交発展の順番として、政治ではなく民間交流を主軸に経済面での協力関係を構築していったのは非常に斬新だと感じた。「二分法」は対日本について「軍国主義(指導者)と日本国民」を別の考え方を持つ存在として扱っていく方法であるが、国家外交では指導者の発言はその国民の総意を代
弁するものとして扱われるのが一般的である。それを中国側の指導者の一人である周恩来自身が、相手国の指導者と国民を率先して別の存在であると捉え、自国民に日本との民間交流を促している。この時代の中国は国民党による台湾政府が発足し、アメリカ・日本は台湾政府こそ正当な政府であるという立場をとっていたため、表立って国交正常化を唱えたところで支持されないことから苦肉の策であるという捉え方も出来る。しかし、それでも指導者と国民は異なる存在であるという、ともすれば中国側の指導者である自分自身と中国の国民とを乖離する可能性を孕んだ政策を進めていったのは、周恩来のバランス感覚が非凡であることを証明しているのではないだろうか。実際この政策は、内閣交代による日本側の外交方針の変更に直面しながらも日中国交正常化の土台を作っていったことから、高く評価されるべきである。
「以民促官」の第一段階として「二分法」による「以民」を推進した周恩来は、次の段階として「政経不可分」による「促官」を推進していく。民間交流による国交に依存しない経済協力関係の基礎が出来ると、それを発展させていこうとする意志が当事者間に芽生え、やがて「日中民間貿易協定」への締結へと繋がっていく。民間での経済交流とはいえ国家間での貿易であることから、日本政府が関わってくること、またその際に日本政府が「政経分離」を提案してくることは周恩来の予想の範疇にあったことは容易に想像出来る。そこで「政経不可分」の立場を表明することで、単なる貿易相手から台湾の国民党政府ではなく、自分達の共産党政府を一国家として認めされることまでが「以民促官」を掲げた周恩来の構想であると考えられる。
「以民促官」を説明されれば主旨を理解することは出来る。しかし実行段階では交渉相手が置かれている状況、関係者の心情、などを理解する共感能力が必須であり、それがあるからこそ、交渉相手が最終的に納得するであろう直地点を提示することが出来るのではないだろうか。
以上から周恩来は「二分法」に見られる発想転換を示すことのできる大胆さと、交渉相手の納得を引き出す卓越した共感能力を持つ人物であると言える。しかし読み進めていくと、それまでの私の中での周恩来の人物像と異なり、周恩来が私費で日本に留学し、その際の学業成績が芳しくなかったと書かれてあった。最終的に大成する人物であったとしても、最初から優れた人物であったわけではないという良い例である。「日中友好の軌跡」を読み、周恩来の人物像を知れたことを良い機会とし、今後は周恩来の青年時代の活動について学んでいきたいと思う。
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